2016-11-06

ひまわりって実はグロテスクだった



ひょんな事がきっかけで、ある人のエッセイに出逢った。
他業種の方の文書だが、同じく「作る」仕事をされている方。
その業種に詳しくない為、その方が有名な方なのかも私には不明…。

でもだからこそ、先入観なく文書に触れる事ができた。



「芸術」について少し理解できる機会。
そして、すべて、に繋がる機会。



色んな解釈、考え方があるものだろうとは思うが
ひとつの哲学を学び、私はそれにひどく賛同できた。


全く具体例書いてないから
何の事?って感じでしょうが、
「何の事?」=「何の事でも」
と言える様な、すなわち"考え方"についてのエッセイだったわけです。


「芸術」の考え方から始まり、「存在」「有・無」「もの」
生きてる上で無意味、無関心になっているものに対してすら、
考えるきっかけになった。




その方はあるものの作り手。その業種での作るという上での哲学。

それは、ものを作るという行為は、
つくる以前に、人が生きるという事(歴史含む)に対しての考察、
自然との共存、宇宙から考える生物、そして物という存在を
理解した後に真に生まれるものなんだと、
スクロールしながら延々頷き続けた文書。


私は物、つまりプロダクトを作ってるわけじゃないから
すべてがすべて、同じではないのだけど…

…いや、同じなのだ、この文書からすると多分同じ。



もっと大きな規模、それこそ宇宙規模に思考の発展を
させると、おなじ…
思考は球体上にある、イメージ



真に理解してる人にとっては
もしかしたら、まだ、浅はかな理解なのかもしれない
それでも、ぽっと穴が抜けたよ


様々な方向から自分の視線の先にあるものを見る必要。
自分は全くの不完全であり、偏った生き物であるからその目線で
見ているものの姿は、非常に貧そになりがち。

だから、見たいものを見る為に、
先人を知り、歴史を学び、知識を増やし、
自然を感じ、有って無いものの中で創作する。



「存在」への果てない憧れ